年 | 内容 |
1956 (S31) | 米軍人ジョエル・リッシュ氏を中心にダブル・クヮルテットにフルート1本、クラリネット1本で 「チェンバー・オーケストラ」を5月に結成。 練習は那覇市崇元寺にあった那覇琉米文化会館(敷地には現在、那覇市泊・末日聖徒イエス・キリスト教会が建っている)で週2回、演奏会も那覇と各地の文化会館で行なう。 ※琉米文化会館の様子については琉球朝日放送のホームページに詳しく、オーケストラ活動の状況も当時の文書から見ることができる。 |
1957 (S32) | 指揮がリッシュ氏からシーザ・リッチ氏に移りメンバーも25人~30人に増えたので(半数が外人・軍人)名前も沖縄オーケストラに改める。 |
1958 (S33) | シーザ・リッチ氏からロバート・ウェスト中尉、ジョン・シップリ大尉にかわる副指揮者に真栄城隆司氏をおく。 |
1960 (S35) | 真栄城隆司氏が正指揮者となり,メンバーも県内を中心に本格的オーケストラ活動を始める。 ホノルルシンフォニーオーケストラ常任指揮者ジョージ・バラティ氏を迎え沖縄で始めて交響曲の全曲演奏する。(曲はハイドン「交響曲第86番」) |
1961 (S36) | 宮古島、八重山諸島へ演奏旅行。 |
1964 (S39) | 真栄城隆司氏が勉学のため上京、またメンバーの数人も進学のため上京。 富原守哉氏を中心に室内楽団として活動を続ける。 |
1970 (S45) | 真栄城隆司氏帰沖、再びオーケストラ活動始める。 |
1971 (S46) | 名称を「沖縄交響楽団」に改める。 団長(初代:渡辺文男)、常任指揮者(真栄城隆司)、コンサートマスター(数和子)を決めメンバーも38名で本格的オーケストラ活動を始める。 12月 第12回定期演奏会 |